競馬の話2013第5週「安藤さんお疲れ様でした」

日本競馬史に残る騎手である安藤勝己が引退しました。とっくの昔に引退してもおかしくない年齢だったので、残念というよりかはお疲れ様といった感じです。安藤騎手がデビューした当時は、中央競馬と地方競馬では全くの別競技でした。同じ競馬をしているのにも関わらずです。その昔は地方競馬の馬が中央のレースを走れないのが常識でした。安藤騎手がデビューした当時、地方競馬の馬が中央のレースを走れたのは、産経賞オールカマーのたったひとつだけ。オールカマーというのは文字通り「何でも来い」という意味でした。しかし、これも地方競馬と交流するために作られたレースではありません。元々はサラブレットじゃない馬の参戦を想定したものでした。JRAがアラブ系のレースをやっていたという人を覚えている人ももう少なくなっているでしょうけど。
安藤勝己の名前が競馬ファンに知れ渡るのは、オグリキャップの笠松時代の主戦騎手だった事です。もしこの当時が2013年の制度だったら、オグリキャップは安藤騎手を背に、ヤエノムテキやサクラチオノオー相手にクラシック3冠を戦っていたはずです。それが叶わなかったのは
・地方競馬所属の馬は基本中央競馬のレースに出走できない
・地方競馬の騎手である安藤さんは基本中央競馬のレースに出走できない
・オグリキャップにクラシック登録がない(当時は追加登録制度が無かった)
という制度の壁があったからです。

やがてJRAは、地方馬がクラシックに出走出来るルールを制定しました。安藤騎手はライデンリーダーという馬で中央競馬に殴りこみをかけます。私と同年代の競馬ファンなら、誰もが衝撃を受けた事件だったと思います。一言で言い表せば「下克上」。今の競馬には存在しないアツい出来事でした。

そして安藤騎手の歴史的偉業は、「中央競馬の騎手試験を受けた」事です。今では当たり前の事ですが、当時はJRAの騎手試験が競馬学校の卒業試験と同義だと考えられていました。しかし、JRA騎手試験の受験資格にJRA競馬学校卒業生という記載がなく、年齢の上限設定もありません。そこに気づいて、横典兄や内藤元調教師が受験した歴史もありますが、地方競馬の免許を持って現役で活躍している騎手がJRAの騎手試験を受験するなんて当時考えもしませんでした。結果は不合格でしたが、「あれだけの騎手を不合格にする理由は何だ」という声が競馬ファンやマスコミから噴出したため、JRAは翌年から制度変更をして安藤騎手を迎え入れました。それから10年、岩田騎手や内田騎手など地方競馬の豪腕が移籍して、中央競馬のレースレベルは飛躍的に上がりました。馬券師としては昔に比べて色々と予想しにくく困ってますが、まあ仕方ないです。

日本の競馬の歴史を変えたと言っても過言ではない安藤騎手。その偉業はもっと大きく讃えられてもいいと思います。

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